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執筆者の写真髙野

下らないこと

2月も終盤に差し掛かり、そろそろ受験業界は下らない実績をどしどし打ち出してくる時期となります。


X大学合格

Y高校合格

Z中学校合格


等々、大抵は偏差値の高い学校に受かったことのアピールです。


それこそ、テレビ、インターネット、看板、その他、多岐に渡る広告媒体で受験業界は実績アピールに躍起です。


受験業界に長らくおりますが、毎年毎年、単なるスタートラインに立つ権利を得たに過ぎないことに対してここまで躍起となるのも興味深いものです。


まるで「合格」という二文字で人生の目的を達したかのような姿。


中学校に受かったこと、高校に受かったこと、大学に受かったこと。

それらは人生の3年、4年を過ごす学び場を得たに過ぎず、通過点に過ぎないことを忘れてしまっているようです。


大切なことは、その学び場で何を成し遂げるか、学び遂げるかであり、教育者として自分が関わった子達が送り出した先でどう成長していったかです。


もし送り出した先の学び場で関わった子達が何も成長できていないとしたら、我々教育者は実績詐欺をしているに等しいと私は考えます。


例えどんなに名の通った大学、高校、中学校に合格させたとしてもです。


これについて、以前愕然としたことがありました。


それは、中学受験で某K中等部に入り、そのまま高等部、大学までエスカレーターで上がった一人の学生が発した言葉です。


「自分はこれまで勉強してきて、学ぶ意味も人生の意味も見い出せませんでした」


私の教え子ではありませんでしたが、それでも教育に携わる一人として重たい責任を感じました。


仮に私の直接の教え子がこのような発言をしたとしたら、私はその教え子に何も学ばせてあげることが出来なかったと心底悔やみます。


受験という、ある意味下らないシステムの中で生き残るためのテクニックは勉強したかもしれないが、本質的なことを何も学ぶことがなかった、一人の人間として私と過ごした時間の中で何も学んでもらうことが出来なかったのではないか。


そう思ってしまうのです。


この思いがあればこそ、私の教え子には受験を通るためのテクニック的な勉強はさせません。


仮にそこに拘泥するような勉強をしようとするなら、叱り飛ばします。


なぜなら、子ども達一人一人が学びを通じて成長し、自分達の自己実現を果たしていくための学び。その学ぶ場を提供するために当学院は存在するからです。

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